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水戸地方裁判所土浦支部 昭和32年(わ)170号 判決

被告人 昇こと沢辺升

明四五・二・一八生 箒製造販売業

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中四〇〇日を右本刑に算入する。

押収してある切出小刀一丁(昭和三二年押第五四号の一)を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

一、罪となるべき事実

被告人は沢辺亀三郎、同菊の長男として本籍地に出生し地元の高等小学校卒業後家事の農業に従事していたが、昭和一八年頃直江みき(事件当時三八年)と結婚し右亀三郎方に同居して生活していたところ、間もなくみきと亀三郎夫婦との折合が悪くなり、為に同家をでてみきと共に諸所を転々として移住し昭和二六―二七年頃肩書住居地に古家を求めて一戸を構えたのであるが、その頃から妻みきが近隣に住む唯根力なる者と不倫な関係があるやに疑念を抱き始め時とともに右不倫関係は絶対動かし得ない事実であると信じ、同女に対ししばしばその非を難じあまつさえ他人にまでこれを公言してはばからなかつたところ、みきは被告人の疑念を晴らすこともせず却つてこれを真実であるが如き態度を示したため両者は次第に円満を欠くようになり、時に被告人も暴力を振うこともあつて夫婦仲は全く破綻にひんした状態に陥つていた。かゝる折の昭和三二年六月頃みきは突如被告人の留守中秘かに衣類家財道具等を実家である茨城県筑波郡豊里町大字沼崎字東原三〇六〇番地の義兄直江順吾方に搬出し自からも同家に身を寄せ被告人方に戻らなかつた上、程なくして被告人を相手どり水戸家庭裁判所土浦支部に対し離婚調停の申立をするに至つた。かくして同年九月二〇日の第二回調停期日において、両者間に取り敢えず被告人の保管するみきの布団類と同女の保管する被告人の衣類とを交換することに話がまとまり、これに基き翌二一日午前八時過頃被告人はみきの布団類を携え、前記順吾方にみきを訪れ、同家土間において同女と順吾を交え衣類交換の交渉を始めたところ、みき等は前記調停の取決めに反し被告人の持参した品が少ないとか、全部持つて来なければ駄目だとか口実を設けて素直に応じようとせず、挙句の果、種々愚弄されるに及んだが、日頃興奮しやすい被告人は怒をおさえ耐え忍んでいるうち、更にみき等から今度は被告人等夫婦が前記古家購入に際し順吾から用立て貰つた金二五、〇〇〇円の返済をせよと要求され、それができなければすぐ借用証を書けと迫られ、その場で一時つかみ合いの喧嘩となり互に足で蹴る等の挙にでるに至つた。こうなつてはもはや衣類交換の余地なしと考えた被告人は、同日午前一一時過頃同所を逃がれ自転車を押し一旦同家庭先まで立ち去りかけたところ、なおも相ついで追いすがつてきた順吾とみきに自転車もろともその場に転倒させられ取組合つてもつれているうち、みき等の余りに執拗な態度に激怒してこれまで耐えてきた忿懣が一時に爆発し刃先から柄まで約八センチメートル刃の長さ五センチメートルの作業用切出小刀(昭和三二年押第五四号の一)を手にするや、突嗟に右両名を殺害すべく決意し、先ず同家前庭においてみきの背部・頭頂部等を所かまわず数ヶ所突き刺し、よつて同女に対し左背部肩胛骨右側第五第六肋間に長さ約二センチメートル幅約一センチメートル深さ胸腔から左肺下葉を切り下行大動脈に達する刺創を負わせその大動脈刺創による出血多量のためその場で即死させ、続いて同家居宅南方約三〇メートルの路地上において右小刀で順吾の左頸部・背腰部等を所かまわず数ヶ所突き刺し、よつて同人に対し左頸部胸銷乳頭筋の中央に長さ約五センチメートル幅約二センチメートル深さ総頸動脈・内頸静脈を切り頸椎に達する刺創を負わせ、その総頸動脈と内頸静脈の切離による出血のためその場で即死させたものであるが、被告人は右各犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。

二、証拠の標目(略)

三、法令の適用

被告人の判示各所為はいずれも刑法第一九九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人は前記のように各犯行時心神耗弱の状態にあつたから同法第三九条第二項・第六八条第三号により法定の減軽を施し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条に従い犯情の重いみきに対する罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で被告人を懲役八年に処し、同法第二一条に則り未決勾留日数中四〇〇日を右本刑に算入すべく、押収してある切出小刀一丁(昭和三二年押第五四号の一)は本件各犯行に供したもので被告人以外の者の所有に属しないから同法第一九条第一項第二号第二項により没収することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

四、弁護人等の主張に対する判断

第一、正当防衛の主張について

弁護人等は被告人の本件各犯行は被害者順吾、みきの急迫不正の侵害に対し自己の身体の危険を防衛するためやむことを得ずになしたものとして正当防衛に該当すると主張するので先ずこの点につき考察する。本件の事実関係は判示のように被告人は犯行直前順吾方土間で同人及びみきと衣類交換のことからもつれ、古家購入の際順吾から用立て貰つた二五、〇〇〇円の返済を迫られ更にその借用証を書け書けないでつかみ合いの喧嘩に発展し互に足で蹴りつけるようなこともしたが、多勢に無勢、被告人は一旦その場を逃がれ自転車をもつて同家庭先まで立ち去りかけたところ、執拗な順吾等に追いすがられ自転車もろとも転倒させられ、遂に本件犯行を惹起するに至つたものである。のみならず被告人の司法警察員に対する昭和三二年九月二三日附供述調書及び第一二回公判廷における供述によれば順吾は被告人が土間から同家前庭に逃がれたところを麻繩をもつて縛つてしまうと言いながら追尾したことが窺知され、なおまた司法警察員作成の検証調書によれば順吾は殺害された当時麻繩を丸めたまゝ手に握つていたことが認められるから、被告人がもし無抵抗でいたなら或いは順吾等に右麻繩で捕縛されたかも知れない状況にあつたといえるであろう。このような事実関係と本犯行に至る全般的な経過とに徴すれば、被告人が屋外に出たのは既に被害者との斗争をいさぎよしとせず同人等の攻撃を避けるべく逃げだしたのであるから、これに対し更に追い打ちをかける順吾等の行動は土間内で展開された喧嘩と切り離してみることはできないとしても如何にも一方的挑発的であるとのそしりを免れ難く、従つてこの被害者等の行為を目して被告人に対する急迫不正の侵害と称するにはばからないのであつて、被告人がこの執拗な攻撃に対し自己の身体を防衛するため或程度の自衛手段にでることはこれを容認されなければならない。しかしながら順吾・みきの攻撃はたかだか右に述べた程度のものであつて、不正の侵害は軽微であるからこれを排除するにはおのずから必要にして相当の限度が存するものというべく、本件の具体的事情下においていやしくも順吾等を殺害するが如きはその反撃行為として社会通念上許さるべき防衛の程度を著しく逸脱したと言うにさまたげず、到底正当防衛とは認められないから右主張は採用しない。

第二、心神喪失の主張について

次ぎに弁護人等は被告人は本件各犯行時心神喪失の状態にあつたから無罪である旨主張するのでこの点につき判断するのであるが、以下においては被告人の犯行時に関する精神状態についていづれも心神喪失を認める鑑定人堀口良男、同白木博次の精神鑑定書が存在するのでこれを中心として説明を進めることにする。

先ず鑑定人堀口良男の鑑定について検討する。同鑑定人の作成した鑑定書によれば犯行時の被告人の精神状態は「以前より精神の過労を来しその上激しい興奮状態時に行われたものにしてその間意識溷濁は一様ならず相当の認識あり追想もなし得る時の行為は心神耗弱者とすべく、然らざるときの行為は心神喪失者とするを適当と考える」とし、その理由として同鑑定書と堀口鑑定人の当公廷における供述によれば被告人は「精神的には一件温和に見えるが話し方はやゝ冗慢・迂遠であり粘着性傾向を中心とした執拗・杓子定規的正義感・刺戟性・感情易動等の所謂癲癇性々格を形づくつていることが認められ、少年時より頭痛・興奮・周期的不機嫌等の病状を呈している点から癲癇性の精神発作に類する症状が考えられる。被告人の供述によると犯行当時の行為に対して追想不全な所があり後から想起することが困難で結局本件はこの癲癇性々格に基く朦朧状態のもとに敢行した突発的行為である」旨の見解を示している。右の見解から大体明らかのように堀口鑑定人が前記鑑定主文を導きだした根拠は、被告人が癲癇性々格者であることと、犯行時の追想が困難ないし不可能でありそこに意識障害が存したことの二点に尽きるように思われる。しかしながら当裁判所はこの二点について次のような疑問をもつのである。即ち第一に白木博次作成の鑑定書と同人に対する当裁判所の証人尋問調書の各記載によると、被告人は癲癇性々格と相似た共通性をもつてはいるがそれは同人の低知能によるものであつて癲癇性々格そのものとは言えず、従つて被告人に意識障害があつても癲癇性朦朧状態によるものとは考えられない。何故なら脳波検査の結果は負荷試験によつても癲癇性々格の如き異常波が現出しなかつたからである旨の指摘が存在するのである。そして癲癇性々格の有無を探知する方法として脳波検査が有力且つ信頼するに足るものであることは近時の医学上既に承認されているところであると思料するから、堀口鑑定人が鑑定に当り被告人に当し脳波検査を実施した形跡の認められない本件では、前記白木鑑定人の指摘するところと対比し被告人の癲癇性々格を肯認するのに躊躇せざるを得ない。

次ぎに被告人の犯行時に対する追想力の点であるが、堀口鑑定人がこのことを確めるに用いた資料は犯行時に接着した前後の事情に関する限り主として被告人の同鑑定人に対する陳述のみであることは同鑑定書の記載と同鑑定人の当公廷における供述によつて容易に認められるところ、他方これと内容において相当趣を異にする被告人の検察官に対する供述調書等があり、これらの記載を信用すれば被告人の追想は大体可能であり意識障害の事実もおのずから否定する結論に到達することになるのであるから、(この点は白木鑑定書を検討する際詳述する。)被告人の供述中いづれが記憶通り真実を物語り、且つ信憑性に富むものか充分顧慮することなくしては一方を採り他方を排斥し得ない筋合であるのに、堀口鑑定人はこの点の配慮を怠り自己に対する陳述を一方的に信用して被告人に追想不全がありと認め意識障害を肯定したのはその前提に聊か正確を欠くうらみがある。当裁判所は後述のように被告人の検察官に対する供述調書を採るものであつてこれに異る被告人の供述は排斥するものであるから、後者を資料として且つ被告人を癲癇性々格者と断じてなされた堀口鑑定人の鑑定は、そのまゝとつてもつて被告人の精神状態の認定資料に供するに不適当といわざるを得ないのである。

そこで進んで鑑定人白木博次の鑑定につき考察する。

同鑑定人作成の鑑定書によれば被告人の精神状態は「自己の行動の正邪当否を充分に洞察しこの洞察に従つて行動する能力を完全に近く欠いていたものである」とし、その理由として「被告人は限界知能の状態にあるとともに固執性、興奮性の特殊な性格の持主であつた。昭和三二年三月乃至六月頃より妻みきの不倫行為の有無に端を発して妻みきならびにその周辺に対して、被害、被毒、嫉妬の諸妄想を発展させ、その体系化に支配された偏執状態に陥つた。これらの異常な精神状態を背景として、犯行時の被告人は被害者達との感情的激突の結果一過性の心因性意識障害の下において殺人を行つたものと判断される」との所見を示している。右の所見と共に白木鑑定人の当公廷における供述及び同人に対する当裁判所の証人尋問調書を併せみれば、結局のところ、同鑑定人は犯行時の被告人が限界知能、偏執状態並びに一過性の心因性意識障害による朦朧状態にあつたことを認め、これらの相乗作用により被告人の責任能力を否定している訳である。ところで被告人が犯行時限界知能と偏執状態にあつたことについては、本件に顕われた全資料に徴し当裁判所もまたこれを肯認するが、一過性の心因性意識障害による朦朧状態にあつたとする前記鑑定人の所見は少しく検討を要するものがあると考える。何故ならば同鑑定人も指摘するように(同人に対する当裁判所の証人尋問調書参照)意識障害の存否ないし程度の認定は一にかかつて被告人の犯行時についての追想がどの程度に可能であるかによつて決するの他ないのであつてその意味で、ここに被告人の供述が罪体に関する認定資料の面とは別になお極めて重要な意味をもつのであるが、本件公判にあらわれた被告人の供述には、自首調書・司法警察員に対する供述調書・検察官に対する供述調書・公判廷における供述及び白木鑑定人に対する陳述等があり、(検察官に対する弁解録取書並びに供述調書と題する書面は鑑定終了後証拠に採用されたので、以下の説明では一応これを論外におく)これら供述中には漠然不明瞭のもの、詳細明確のもの等ニユアンスの異るものが存し犯行時に対する追想に相当濃淡の差があらわれているからこれら供述中いずれを採るかによつて意識障害の認定が当然左右されざるを得ない筋合にあるからである。そこで進んで白木鑑定人が前記被告人の供述中どの供述を採用して右のような鑑定結果を得たのか、更に採用された供述が他のそれに比較し記憶通りの真実を語り信憑性に富むものかどうかを順次検討しなければならない。(断わるまでもなく被告人の各供述の信用性といつても本件犯行時に接着した前後の事情を語る部分だけが特にここに問題とする訳である。)この点に関する同鑑定人の説明をみるに、同鑑定書・同人の当公廷における供述及び当裁判所の証人尋問調書を併せ考えると、結局白木鑑定人は被告人の同鑑定人に対する陳述が自己を殊更有利にする意図をもつてするとか、事実を歪曲しているとかの節がみられないばかりか、それが自首調書及び公判廷における供述(第一回公判廷における被告人の供述及び当裁判所の検証現場における指示説明を指すものと思われる)の各内容と略一致しているところから、他の供述をも一応参考としつゝ主として右三つの供述を中心として信用しその余の供述を排斥したことが窺われる。そしてこれら被告人の自首調書・公判廷における供述及び白木鑑定人に対する陳述は多少の相違はあつても大体において、殺害行為に接着した前頃から朦朧状態に陥りどのような手段・方法・順序で犯行に及んだのか逆上して不明であるとする点で一致した内容を持ち、これら供述を信用すれば被告人の追想は困難且つ極めて断片的であるから高度の意識障害を肯認せざるを得ないようである。しかしながら当裁判所は右各供述の信用性に多大の疑問なしとしない。その理由は次のとおりである。先ず自首調書についてであるが、同調書は被告人が本件を敢行後間もなく(正確な時間は明らかでないが事件当日であることは疑ない。)作成されたものであつて、犯行の経緯と被告人の興奮的性格から考え当時被告人は外見上はともかく(証人木村とく子の当公廷における供述によれば被告人は駐在所に自首した頃平静の態度で興奮的な様子はなかつたとしているが、外見上はそのようであつても心理的にもそうであつたとは断じられない)いまだ心理的動揺と感情的興奮から脱却できない状態にあつたことは容易に推察され得るから、かゝる状況下で被告人が犯行の手段・方法・態様につき充分詳細に、筋道立てて述べることは、記憶の新鮮ということを考慮に入れてもなお至難であらう。のみならず自首調書はその性質上取調官が自首にかゝる犯罪事実の概要を記載し詳細且つ本格的取調は後日になされるを通例としていることからみても、右調書にある供述が被告人の追想できた事実の全部であると速断することは当を得ないであらう。

次ぎに被告人の公判廷における供述について吟味するに白木鑑定人の鑑定終了後における供述も参考として考えるとそれは細部において首尾一貫している訳ではなく、当初明らかに認めていた事実を公判の進行するにつれ、判らない記憶がないと曖昧にしていることの少なくないことは、日時の経過による記憶の薄らぎ、記憶ちがい等があるとしてもなお不自然な感を免れない。しかも自首調書で多分妻みきを先にやつたと思うと述べていたことすら公判で記憶がないと主張している。これらの点と捜査段階で自白していたものが公判に至り自己を有利にせんがため否認する事例がまゝあること及び本件が公判当初から被告人の精神状態につき争われ二度に亘る精神鑑定をした経過等の事実を考え併せると被告人の公判廷における供述もそのまゝ無条件に信用することに躊躇を感ずる。

最後に被告人の白木鑑定人に対する供述についてみると被告人の自首調書と公判廷における供述につき前説示のようなことが言えるとすれば、これら供述と同鑑定人に対する陳述が一致するということはこれを信用するさしたる理由にならないのである。既述の通り白木鑑定人は同人に対する被告人の陳述の信憑性につき、「印象では被告人が自己を有利にする意図をもつて言つているようには思えませんでした。」と語つているが、公判の進行にともなう被告人の前記供述の変遷及び被告人にとつて白木鑑定人による鑑定が二度目であり、自己の責任能力の有無につき争われている事実を知らない筈がないことに鑑みると、同鑑定人に対する陳述もその信用性に疑を免れないと思う。

それでは以上に考察した被告人の各供述とは反対に、殺意・兇器・殺害の順序・方法等犯行の態様につきかなり詳細且つ具体的記述の存する被告人の検察官に対する供述調書はどうであらうか。白木鑑定人が鑑定に当り右検察官調書を採用しなかつたのは前叙の如くであるが、しかし他方同鑑定人も「被告人の検事調書によると可成詳しく当時の事情を述べている。その内容が事実であつてもなお被告人に意識障害があつたと言えますか」との検察官の質問に対し「その程度の供述があり、それが事実のことであるとすれば(被告人に)意識障害があつたとは言えません」との注目すべき意見を述べている(同鑑定人に対する当裁判所の証人尋問調書参照)ことを見逃がし得ない。

そこで更に進んで右検察官調書の信憑性につき検討を加える。最初に同調書に関する被告人の見解を尋ねてみよう。被告人は弁護人の「検事調書中事実と違う点はどの点か」との質問に対し「今私が述べた追つたという点((註)被告人は被害者等を追つたことがないと主張したのに検察官は追つたことになるのだと受けつけなかつた点)だけです。そういうことはありませんでした」と答え(第一二回公判廷における被告人の供述参照)検察官に対する供述調書中さして問題となつていない右の点を除いて大部分を正しいものと認めたのに反し、右調書の作成者たる近藤功証人に対し、突如として被告人は「右調書に詳細に記載されてあるとすれば自分が述べたのではなく近藤検事が事務官と共に勝手に調書を作つてしまつたものと思うがどうか」と全く相矛盾する発問をなし(第一九回公判調書参照)最終陳述においても同趣旨の主張を繰り返えし被告人の一貫した態度がみられない。このような発問や主張をする被告人の真意が奈辺にあるやはともかくとして、その主張を裏づける資料は何一つないばかりか、むしろ反対に、同調書は被告人が自から任意に犯行を懺悔し自己の記憶のありのまゝを素直に述べたことが同調書の記載と証人近藤功の当公廷における供述によつて認められるのである。なおまたこゝに見逃がし得ないのは、右検察官に対する供述調書が自首調書や司法警察員に対する供述調書の内容に対比し犯行時の模様につきかなり詳細・具体的であるのは、調書の優劣が捜査官の能力の程度及び取調方法の巧拙に負うところが少なくないことと、第二に本件では検察官調書が作成された当時被告人は犯行時の興奮状態から脱してようやく心の平静を取り戻し細部に亘る記憶がよみがえつたであらうこと、これである。なおついでに触れるが被告人の司法警察員に対する供述調書中昭和三二年九月二三日附のものが被告人において犯行時の模様をありのまゝ披瀝したと考えられないとすることは、前述被告人の自首調書及び検察官に対する供述調書につき説明したところが大体妥当するのでその部分をここに引用する。

さて以上の次第で明らかになつた如く、被告人の自首調書、公判廷における供述及び白木鑑定人に対する陳述はいづれも種々の不合理な疑点があり信憑性に富む理由に乏しいと考えられるのに反し、被告人の検察官に対する供述調書は被告人の公判廷における前記いわれなき弁疏を除き、その信憑性に合理的な疑をさしはさむ余地がないのであるから、これを有力な資料として犯行時における意識障害の有無を決すべきであると思料されるのにことここにいでず、被告人の供述中疑問の多い自首調書等を主に採用して意識障害の結論を導いた白木鑑定人の鑑定は当裁判所のにわかに左袒し得ないところである。

よつて当裁判所の結論を示す。被告人の検察官に対する供述調書・弁解録取書並びに供述調書と題する各書面はいづれも本件にあらわれた被告人の供述中最も信用するに足るものであり、これらを綜合すれば被告人の犯行時に関する追想は可成詳密で筋道立つており、例えば自首する途中で捨てたものと思われる兇器の捨て場所についての記憶がなかつたこと等或程度追想不全のところもあるが、それは比較的軽微であつていまだ法律上心神喪失の状態にあつたことを認める程度の意識障害に陥つていたものとは断じ難い。しかしながら被告人は、犯行時右に述べた如く軽度の意識障害に陥り且つ白木鑑定人の指摘するように限界知能・偏執状態にあつたことその他本件犯行の経緯・態様等一切の事情を併せ考えると、被告人は当時是非善悪を区別しその判断に従つて行動する能力を著しく減弱して所謂心神耗弱の状態にあつたと認めるのが相当である。

よつて主文のように判決する。

(裁判官 坂井五郎 福間佐昭 中野武男)

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